活字紀行

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百花【書評】

こんにちはしろはです。
今回は『百花』(川村元気/著)を紹介します。
※本文にはネタバレを含む場合がありますので、ご注意ください。

 

 

 

あらすじ

 

晦日、実家に帰ると母がいなかった。息子の泉は、夜の公園でブランコに乗った母・百合子を見つける。それは母が息子を忘れていく、始まりの日だった。認知症と診断され、徐々に息子を忘れていく母を介護しながら、泉は母との思い出を蘇らせていく。ふたりで生きてきた親子には、どうしても消し去ることができない“事件”があった。母の記憶が失われていくなかで、泉は思い出す。あのとき「一度、母を失った」ことを。泉は封印されていた過去に、手をのばす―。現代において、失われていくもの、残り続けるものとは何か。すべてを忘れていく母が、思い出させてくれたこととは何か。
(「BOOK」データベースより引用。)

 

人物紹介


葛西泉:レコード会社勤務。実家に帰ると母がいなかったが公園のブランコで発見。
  百合子:泉の母。シングルマザーとして泉を育てた。認知症を患ってしまう。
  香織:泉の妻。泉とは社内婚をした。お腹の中には子供がいる。

感想

今回は認知症となってしまった母とその息子の生活を描いた作品です。

読んでいる私たちからしても、百合子の不可解な行動が徐々に増えてくることはどこか悲しい気持ちになってしまいます。

そんな母親を見ながら息子の泉は、そして妻の香織は何を思うのか。
この本は広い年代にオススメできる一冊かと思います。

実際に介護する立場になった人、まだまだ先の人、そして遠くない未来に介護される立場になる人。
読んでいて感じ方が大きく違うと思います。

読んで良かった一冊でした。
本当に川村元気さんの作品はどこか温かい気持ちになれます。

ネタバレありのコメント

これからはネタバレありのコメントをつらつらと書きますので、見たくないという方はここまでとしてください。
これまで見てくださり、ありがとうございました!

 

全体を読み終えての感想(ただの独り言)

認知症って何なんだろう。どうやって向き合えばいいのだろう。
記憶って、思い出って、忘れるって何なんだろう。
そんなことをぼんやりと思いながら読んでいました。

自分はまだ親の介護をしなければならない場面になったことはありませんが、実際には泉のように仕事、家庭、そして介護を抱えながら苦労するのだろうなって。

そして当たり前のように、もっとこうしていれば良かったと後悔するんだろうなって。
"認知症"という概念はわかりますが、当事者にならないとわからないですもんね。

表紙の大半が不鮮明になっているのは記憶を表しているのでしょうか。
記憶が欠落していくのは本人にも理解できているのでしょうか。

以前、認知症関連の本で読んだ気がしますが、本人は自分が思うようにできないことにもどかしさを感じているとか。

介護する側からすれば、以前とは変わってしまった相手に戸惑いや苛立ちを感じてしまうことも多いかと思いますが、少しでも優しくありたいです。

何を伝えたかったのか(これもただの独り言)

失っていくということが大人になるということなのかもしれない。
(本書より引用。)


作中では人工知能が登場しましたが、人工知能はこの点が非常に人とは対照的ですよね。
決して忘れることのない人工知能だから決して人にはなりえない。

だからこそ、記憶を失わせることで人工知能に個性や才能を与えられるかも、と言う説が出たんですね。

記憶があるからこそ、個性が生まれるのかもなぁ。

だからといって認知症の方は記憶の喪失と共に個性を失うのでしょうか。
そんな風に私は思いません。

実際に百合子も特定の記憶に基づいて行動していることが多かったですよね。
特定の記憶が垣間見えることで、その人の個性が色濃く出ることもあるかもな、とぼんやり思いました。

そう考えると、認知症って怖いものなんだ、その人が別人になってしまうんだ、と恐れてしまうのはどこか違う気がしてきました。

人工知能にしかできないこともありますが、人ってやっぱり美しい。
何事も恐れずに今を大切にしたいです。

今回はこの辺で。
閲覧くださり、ありがとうございました。
またの機会にお会いしましょう。