活字紀行

自分自身に満足を。つらつらと書評ブログ。Twitter@sh1roha_468

ノワール・レヴナント【書評】

こんにちはしろはです。
今回は『ノワール・レヴナント』(浅倉秋成/著)を紹介します。
※本文にはネタバレを含む場合がありますので、ご注意ください。

 

 

 

あらすじ

 

他人の背中に「幸福度」が見える。本の背をなぞって中身をすべて記憶する。毎朝5つ、今日聞くセリフを予知する。念じることで触れたものを壊す。奇妙な能力を持つ4人の高校生が、ある少女の死の謎を追う。
(本書より引用。)

 

人物紹介

 

大須賀駿:思いがけず学校に遅刻。他人の背中にその人の幸福度が見える能力をもつ。
三枝のん:無類の読書好き。指で背幅をなぞるだけで書籍を読める能力をもつ。
江崎純一郎:喫茶店に行くのが日課。毎朝、その日に耳にする他人の発言が5つ降りてくる能力をもつ。
葵静葉:自らピアノから離れた少女。対象物を壊せる能力をもつ。

 

感想

今回は4人の高校生が送る5日間を描いた青春小説です。
4人は何ら関わりがなかったわけですが、ひょんなことから集められて5日間を共にすることになります。

いったい彼らはなぜ集められたのか。
考えてみると、4人には"普通ではない"という共通点があった。

見えないものが見える、読めないものが読める、聞こえないものが聞こえる、なんでも壊すことができる。
そんな特殊な力をもった4人だったのです。

そんな4人が何をすべきなのか、順に紐解いていくようなSFミステリー要素も含んでいます。

こういった分野は私の大好物なので、最後まで本当に楽しく読めました。
ただ、本作品はなんと750ページもある作品です。
実際に書籍を手に取ったら少々ずっしりとするのではないでしょうか。
(私は電子書籍で読んだのでそういったことはありませんでしたが・・・。)

活字に慣れていないような方はゆっくりとご自身のペースで読んでもらえればなと思います。
私は毎日1時間程度の読書時間を取っているのですが、毎日読み足りなくて不満でした。

そのくらい、この作品の世界観は好きでしたね。
一体4人は誰によって集められたのか、何をすべきなのか。
そういったことを考えながら読んでほしいです。

ネタバレありのコメント

これからはネタバレありのコメントをつらつらと書きますので、見たくないという方はここまでとしてください。
これまで見てくださり、ありがとうございました!

 

全体を読み終えての感想(ただの独り言)

いやー、本当に凄い読み応えのある一冊でした。
これはもちろん分量的な意味だけでなく、内容的な意味でもです。

私は電子書籍(Kindle)で読んでいるため実際の厚さがどの程度かあまり把握していませんでしたが、750ページ以上あったんですね。

Kindleって読み終えるまでの平均時間が出てくるのですが、そこには10時間以上の時間が記載されていたので、もしかしたら結構長い作品か?と思いましたけど、ここまで読み応えのある一冊だとは。

私としてはのんの能力が羨ましくてしょうがなかったですし、読書の姿勢にも共感できる部分が多々ありました。(日常生活に偉人の名言を引用するのは理解できませんが。)
のんの明るさは、終始本作品を楽しくさせる大きな一因だったと思います。

私が好きなのんの考え方を紹介しようと思います。

日記をつけることは、文章を生み出すことだ。
文章を残すことは、誰かに言葉を贈ることだ。
誰かの言葉を読むことは、誰かと会話をすることだ。
会話をすることは、忘れないことだ。
(本書より引用。)


終盤となりサッちゃんの真相がわかったあとでの表現でしたが、本当に好きな表現です。
実際に私自身もこうしてブログを書いて、誰かが読むこともあるんだろうなぁという気になりましたし、以前はすぐにやめてしまった日記をまた始めてみようかなという気にもなりました。

誰かと会話(文字含めて)をすること、そして形に残すことを忘れないで生きたいです。
なんだか、読書やブログに対する姿勢がちょっと変わった気がしました。
これからも適度に頑張ります。

何を伝えたかったのか(これもただの独り言)

さて、では今回は何を伝えたかったのでしょうか。

んー、正直私にはわかりません。
ただ読んでいる時も読み終えた後も本当に楽しく読めたのは事実です。
それだけで良いのではないでしょうか・・・。

ノワール・レヴナントとは言ってしまえばトランプを用いたカードゲームだったわけですが、これってオリジナルのゲームですよね?
作中では江崎が賭博でこのゲームをしていましたが、インディアンポーカーとは違った駆け引きがありそうですよね。
一発大逆転があるのがロマンでたまらなかったです。

私自身、読書はもちろん好きですが、ボードゲームも好きなんですよね。
真剣勝負も好きですが、少々お酒を飲んでこのノワール・レヴナントをやってみたいとも思いました。

さて話がそれましたが、何を伝えたかったのでしょうか。
私なりにふわふわとした見解を書きたいと思います。

私としては生粋の読書家であるのんの考え方に共感する部分が多かったのでその点で書こうかなと思います。

《我思う故に我あり》
サッちゃんはラディカルな懐疑主義の下、自己認識と自己の決定こそを最も信頼していたのだ。
(本書より引用。)


自身の意見をはっきりと伝えにくかった大須賀、尊敬するサッちゃんが何も言わずに去ってしまったのん、私生活に刺激感がなく辟易していた江崎、自分が犯した罪の戒めとしてピアノを封印した静葉、そして誰にも相談することなくこの世から去ってしまったサッちゃんこと皐月。

4人の誰しもがこの5日間の生活を経て一歩前進することとなった。
時には人のアドバイスを借りることも重要ですが、最終的には自分が正しいと思ったことをすべきということなんですかね?

結果的に皐月は犠牲となってしまいましたが、4人の成長ぶりはどこか嬉しいものがありました。

最終的に、青い飴玉を配るために大須賀の能力は依然として残っているという認識で良いんでしょうかね?
大須賀だけが皐月本人(亡霊?)と思われる人物に遭遇したので、4人の中では何か秀でた役割があるのだと思っていましたが、きっとそういうことなんでしょう。
私の頭ではこれが限界でした。

内容としても、分量としても最高の一冊でした。
読んで良かったです。

今回はこの辺で。
閲覧くださり、ありがとうございました。
またの機会にお会いしましょう。