活字紀行

自分自身に満足を。つらつらと書評ブログ。Twitter@sh1roha_468

正欲【書評】

こんにちはしろはです。
今回は『正欲』(朝井リョウ/著)を紹介します。
※本文にはネタバレを含む場合がありますので、ご注意ください。

 

正欲

正欲

Amazon

 

 

あらすじ

 

生き延びるために、手を組みませんか。いびつで孤独な魂が、奇跡のように巡り遭う――。
あってはならない感情なんて、この世にない。それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ――共感を呼ぶ傑作か? 目を背けたくなる問題作か? 絶望から始まる痛快。
(本書より引用。)

 

人物紹介

 

寺井啓喜:検事を務める。息子の泰希が不登校となって正しい道へ戻そうとしている。
桐生夏生:寝具店の店員。前職は運送会社に勤めていた。
神戸八重子:大学生。学祭で行う"ダイバーシティフェス"の実行委員。

感想

今回は昨今、よく話題に挙げられる"多様性"が大きなテーマとなった作品です。

本屋大賞にノミネートされたこともあって、いつか読んでみたいと思っていましたが、ようやく読む機会ができました。

多様性がテーマになっていることもあって、少々やりすぎなのでは?と思う場面もありました。
ただ、こう思っている人もいるかもしれないと思った一冊でした。

結局は他人の事なんてわからないし、自分のことを理解してほしいだなんて言うのは野暮な話なんだなって思いました。
でもそうすることで、自分との繋がりが消えてしまう、となんとまぁ人間関係って面倒なものなんでしょうか。

マイノリティ、ダイバーシティ
言うのは簡単ですが、結局は自分のすべてをさらけ出せる環境なんて存在しないんだなって。
自分を隠しながらも、自分が心地よく思える繋がりを大切にしたいと思いました。

また、自分のことを完全に理解できている自身なんてどこにもないですからね。
本当にヒトって難しいなぁと思いました。

読んで良かった作品でした。

ネタバレありのコメント

これからはネタバレありのコメントをつらつらと書きますので、見たくないという方はここまでとしてください。
これまで見てくださり、ありがとうございました!

 

物語の結末

マジョリティだと思って他者のマイノリティを認めること。
徐々に受け入れられる時代になりつつありますが、決して簡単なことではないですよね。

こう言ってはなんですが、あくまでも一つのパフォーマンスとして認めている人もいるでしょうし。
それを受け入れられる自分って素晴らしい!!って考えている人もいるでしょうし。
もちろん、こう言う私もそう考えてしまっているかもしれませんし。

結末としては悲劇?として終わってしまいましたが、どうすれば良かったんでしょうかね。
そして、他者に理解されないことってどれだけ悲しい事なんでしょうか。

事あるごとに"繋がり"というキーワードが出てきましたが、良かれと思って作られる繋がりが邪魔なものでしかない時もある。
まさに余計なお世話となってしまうこともある、本当に難しい問題だなと思いました。

自分は普通である、マジョリティであると意識せずとも思ってしまっているんでしょうね。

作中ではこんな表現がありました。

だけど誰もが、昨日から見た対岸で目覚める可能性がある。まとも側にいた昨日の自分が禁じた項目に、今日の自分が苦しめられる可能性がある。
(本書より引用。)

思わずハッとさせられました。
感受性が豊かな私だけかもしれませんが、どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのでしょうか。

この表現も考えさせられます。

三分の二を二回続けて選ぶ確率は九分の四であるように、"多数派にずっと立ち続ける"ことは立派な少数派であることに。
(本書より引用。)

こうやって簡単な確率で自分の立場を表現できるとはあまり思いませんが、非常にわかりやすく考えさせられる一文だと思います。

作中の登場人物はいずれも、自分とは違うんじゃないか、相手はこう思わないんじゃないか、そういったことで悩んでいる方ばかりでしたが、その苦悩が痛いほど伝わってきて、読むのが少々つらかったです。

読了後には、また色々と考えさせられる一冊でした。

そもそも多様性とは

そもそも多様性って何なんですかね。
英語名からカタカナ表記でダイバーシティという文字列を見かける機会も増えてきました。
自然科学的な観点や社会科学的な観点で捉え方は異なると思いますが、良い面もありますし悪い面もある複雑な話題ですよね。

多様性を広めよう!もっと他人への理解心を持とう!という方も見かけますが、そもそも自分のことを理解できないのに他人のことを理解できるわけがなくないですか?
自分探しの旅に出る!!という方が一定数いるわけで、多様性という言葉をもってして他人への理解を煽るのはなんか違うんじゃないかなーってずっと私は思っています。

作中ではこのような表現もありました。

人間は結局、自分のことしか知り得ない。社会とは、究極的に狭い視野しか持ち合わせていない個人の集まりだ。
(本書より引用。)

この表現には深く共感を覚えるとともに、私自身も無意識のうちに狭い視野から外れた人のことを疎ましく思ってしまっているのだろうな、と考えさせられました。

とは言っても私は、自分と違う他者を排除しないようにしよう!という風潮に関しては賛成です。
決して理解できるとは思いませんが、肩身の狭い思いをしている人には寄り添えるような存在でありたいですね。

もちろん作中でもありました、絶対に他人からの理解は得られないからずっと自身の中に留めておきたいという考え方もいると思いますので、決して強要はしないようにしたいですね。
なんとまぁ、人付き合いって難しいのでしょうか。

本作品を読んで、改めて"多様性"という言葉の複雑さ、人付き合いの難解さを教えてもらえた気がします。

最後に、"多様性"に関して私が考えさせられた本を紹介しようと思います。
もしかしたら良い面だけをとらえているのでは?と思われてしまうかもしれませんが、読んでいて非常に興味深い一冊でした。
もしご興味あれば一読ください。

 


今回はこの辺で。
閲覧くださり、ありがとうございました。
またの機会にお会いしましょう。