活字紀行

自分自身に満足を。つらつらと書評ブログ。Twitter@sh1roha_468

護られなかった者たちへ【書評】

こんにちはしろはです。
今回は『護られなかった者たちへ』(中山七里/著)を紹介します。
※本文にはネタバレを含む場合がありますので、ご注意ください。

 

 

あらすじ

仙台市の保健福祉事務所課長・三雲忠勝が、手足や口の自由を奪われた状態の餓死死体で発見された。
三雲は公私ともに人格者として知られ、怨恨が理由とは考えにくい。
一方、物盗りによる犯行の可能性も低く、捜査は暗礁に乗り上げる。
三雲の死体発見からさかのぼること数日、一人の模範囚が出所していた。
男は過去に起きたある出来事の関係者を追っている。男の目的は何か。
なぜ、三雲はこんな無残な殺され方をしたのか? 誰が被害者で、誰が加害者なのか。(本書より引用。)

 

人物紹介

笘篠誠一郎:県警捜査一課。拘束した上で餓死させる事件の犯人を追う。
三雲忠勝:福祉保健事務所の課長。善人として慕われた。餓死した状態で発見される。
城之内猛留:人格者として認められていた。三雲と同じく手口で殺されてしまう。

 

感想

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今回は社会保障制度が絡んだ社会派ミステリーです。
日本の社会保障制度(特に生活保護)がこれでもかと題材に挙げられます。

ミステリー作品として

最初に登場する二人の被害者は人から恨まれるような人ではないと幾人からも説明されます。
では犯人の目的は何なのか、どういう人物なのかという所から物語は進んでいきます。

手足や口の自由を奪った上で餓死させるという残虐な犯行手口から、犯人はいったいどんな凶悪な人物なんだと思わずにはいられません。
ただ、何かしら特別な目的はありそうだと感じます。

私は犯人像よりも、生活保護の問題が頭の中をぐるぐる回ってそれどころかではなかったですが…。

生活保護制度

本書の大きなテーマに生活保護があります。
社会派ミステリーならではの実在する問題が題材とされています。

生活保護はこの精神に則った、最低限の暮らしと自立を保障する制度なんです。水道光熱費にも事欠くような人が遠慮したり、逆に働ける人が制度の上に胡坐をかいたりするものではないんです。

福祉保健事務所の職員もこのように説明しています。
ミステリー作品らしくいったい誰が犯人だろうか、と考えるだけでなく生活保護の実態について考えられる作品となっています。

読了後は事件が解決して良かった、というだけでなくどこか重い気持ちになりました。
正に"社会派ミステリー"を象徴する一冊でした。

 

ネタバレありのコメント

(ここからはネタバレを含みますのでご注意ください。)

なんとなくこの"カンちゃん"という人物が犯人ではないかと考えていましたが、福祉保健事務所の丸山という人物が同一人物とは思いませんでした。
本来なら生活保護を受けるべき人物に対して、献身的に寄り添う姿を見て善人だと思い込んでしまったことが原因ですかね。

ただ、犯人はなぜ8年もの歳月を待ったのでしょうか。
もしかしたら描かれていたのかもしれませんが、私には読み解くとこができませんでした。
利根の仮釈放が遅れていたら被害者が増えていたかもしれないと思うとゾッとしますけどね。

犯罪は容認できることではありませんが、彼が最後にSNSに残した犯行声明は思わず何度も読み返しました。
一体何が正しいのか、どうすれば良かったのか。
護られなかった者たちに対して、何かできることはないのかと考えずにはいられませんでした。

本書では、今国が抱える生活保護受給者は二百六十万人を超える数がおり、今後も増え続けるとのこと。
現実をそむけたくなるような話ですが、決して他人事ではないんだなと痛いほどわからされてしまいました。

 

社会保障制度とかの独り言

これもまぁ最近何かと言われていますよね。
コロナ禍になって伯爵がかかったような気がしますが、絶対に解決しなければならない問題ですよね。
この作品を読んでどうすればいいのだろうと考える機会になりました。

とは言っても、私自身はまだまだこの手の知識がないため、勉強もかねてこの本も読みました。

ベーシック・アセットという考え方すら知らなく、とても良い勉強になりました。

ベーシック・アセットとは

当事者の事情に適したサービスと所得補償を実現し、人々が積極的に社会参加できる条件を提供していくこと

この考え方に基づいた保障がベーシック・アセットです。
最近だと、やれベーシック・インカムだのベーシック・サービスは聞く癖にこの言葉は知りませんでした。
社会保障の改善としてどのような考えがされているのかを知る良い機会でした。

 

シミュレーションとしてはこのような推測もされているようですね。

2040年には未婚、離別の高齢単身女性の四割が生活保護受給水準以下の収入に落ち込む、というシミュレーション結果がある。

これゾッとしませんか?
のらりくらりと暮らし、どこか他人事と思っていてはダメなんだと思わされてしまいました。

新しい生活困難層

新しい生活困難層が直面する事柄として以下の三つが挙げられています。

  • 多様な複合的困難であること。
  • 働く困窮層あるいはワーキングプアとなっていること。
  • 高齢世代を含んだ世代横断的であること。

自分は関係ない、自分は国に頼る資格はないと心のどこかで思い、自分が保障を受けようと思った時にはすでに手遅れ。
(私も含めてですが、)どこか自分は関係ない、彼らにしてあげられることは何もないと考えてしまうんでしょうね。

このような表現もされています。

貧困リスクに関しては人々は依然として自分は無縁と思いたい。困窮に陥っている人々相互の間でも、「彼らとは違う」「自分のほうがまし」という反応がうまれる。逆に「彼らだけが優遇されている」という不信感を抱きがちになる。

一部の生活保護受給者のせいで生活保護がどこか悪だとされていることが表現されているようで、なんだか悲しくなりました。


ではこの社会保障問題をどう解決すべきなのか。

明確な回答は行政や専門家ももたないため、この問題を必ず解決できる保証はどこにもないのだということが痛いほどわかりました。

必要なのは、(中略)一人ひとりに最適なサービスや所得保障との組み合わせについて、当事者が専門家とも相談し協議しながら選択できて、場合によっては試行錯誤ができる仕組みができることである。

言うは易しなのは百も承知ですが、少しでも生活の不安が払拭されることを切に願うばかりです。
少なくとも、自分が手を差し伸べられる人だけでも寄り添えるような人になりたいと思いました。